辛かった春😭の思い出
何が辛いって、今年の花粉💧すごくないですか??
私の鼻が、とうとう決壊してしまったらしく、仕事中に大変な事になって😓市販の薬を飲み始めました。
私と同い年の社員さんも、花粉症に苦しんでいて、2人で
「花粉症って、年をとったら、楽になる?らしいけど、これでもまだ年が足りないのかね??
早く楽になりたいねー💦」と、話しています。
ウチの息子は、中学2年の3学期の始業式に登校して、翌日から、突然の完全不登校になりました。
ので、中学2年から3年への進級の春は本当に辛かった事を思い出します😭
冬の間のどんよりとした天候の時は、なんとなく、私の心ももってましたが、
だんだん春めいて、青い空、白い雲、桜の花、新入生らしいイキイキとした子供達、などを見るにつけ、辛くて、辛くて、
ずーっと寒い暗い冬でいて欲しい、と思ってました😭
その年の5月に私は、大きな手術もしました。
その頃は、上の子もまだ高校生で、不安定でしたので、どうしてこんなに、辛い事が続くのか?と。毎晩泣いてました。
それでも、主人と調べに調べて、復学支援機関の情報に辿り着き、術後の身体の不安を抱えながら、東京駅の近くの、F先生のオフィスに向かった事が忘れられません。
私はあの時、走り回って良かったと、心から思っています。
あの頃、私はどんな気持ちだったのかな?
ある、カウンセラーさんに言われたのは、主人と私が、息子の中学への復学へこだわるのは、
「親のエゴです。周りの人や世間に、息子さんが不登校で恥ずかしいからでしょう。
特にお母さんの見栄です。」と言われて、、、
それは絶対に違う⚡️と、断言できました。
ウチの息子の場合、不登校が始まって、3ヶ月くらいは、自分でも何が何やらわからずの、迷走の時期であったと思います。
この時に、もし病院に連れて行ったら、何がしかの診断は、必ずついたと思います。
そのくらい、息子の心は、疲れてしまっていたと思います。
でも、疲れて不登校になったのに、いざ休んでしまったら、今度は罪悪感で、余計に疲れてしまったと思います。
不登校が始まって3日目くらいはまだなんとか話せたのですが、
そこからどんどん気持ちが落ちて行った様に見えました。
でも、親は何も言わずに、笑顔で黙って見守っていましたら、今度はだんだん気力が上がって来て、5ヶ月目くらいに自分から、
「そろそろ学校に行きたい」と言ったのです😭
ただ、そこから、具体的に息子が自分の力で復学する事は困難であったと思います。
だから、主人と私は、息子が言った
「お母さん、そろそろ学校に行きたいんだよね。」の言葉を、実現してやる為に、
本当に必死で、走り回りました😌
4年前は、F先生の初回インテークは、東京オフィスでおねがいできましたが、
もし、その少し前までのように、大阪オフィスと言われても、主人と私は、きっと伺ったと思います。
そうして、それからたくさんの事柄をF先生に乗り越えさせて頂いて、全日制の高校を卒業させて頂きました。
本当に、価値のあるものを頂けたと、心から感謝しています😭
この春🌸息子は、浪人生としてスタートを切りました。
毎日、短い時間ですが、予備校の補修に通っています。部屋の机の上も、綺麗にして、消しゴムのカスがたくさん落ちています。
ゆっくりですが、動けている事に感謝して、、
久しぶりに、穏やかな春を過ごしたいと思っています!!