不登校からの生還✨家族で頑張る継続登校の日記

中学2年の息子が突然、完全不登校になりました。8ヶ月間の引きこもり生活を経て、復学支援機関のもと、中学3年の夏休み明けから復学させて頂きました。
継続登校するからこその苦労を、支援の先生の指導のもと、家族で乗り切る日記です!頑張ります!!

辛かった春😭の思い出

何が辛いって、今年の花粉💧すごくないですか??

私の鼻が、とうとう決壊してしまったらしく、仕事中に大変な事になって😓市販の薬を飲み始めました。

私と同い年の社員さんも、花粉症に苦しんでいて、2人で

「花粉症って、年をとったら、楽になる?らしいけど、これでもまだ年が足りないのかね??

早く楽になりたいねー💦」と、話しています。



ウチの息子は、中学2年の3学期の始業式に登校して、翌日から、突然の完全不登校になりました。


ので、中学2年から3年への進級の春は本当に辛かった事を思い出します😭

冬の間のどんよりとした天候の時は、なんとなく、私の心ももってましたが、


だんだん春めいて、青い空、白い雲、桜の花、新入生らしいイキイキとした子供達、などを見るにつけ、辛くて、辛くて、


ずーっと寒い暗い冬でいて欲しい、と思ってました😭


その年の5月に私は、大きな手術もしました。

その頃は、上の子もまだ高校生で、不安定でしたので、どうしてこんなに、辛い事が続くのか?と。毎晩泣いてました。


それでも、主人と調べに調べて、復学支援機関の情報に辿り着き、術後の身体の不安を抱えながら、東京駅の近くの、F先生のオフィスに向かった事が忘れられません。


私はあの時、走り回って良かったと、心から思っています。


あの頃、私はどんな気持ちだったのかな?

ある、カウンセラーさんに言われたのは、主人と私が、息子の中学への復学へこだわるのは、


「親のエゴです。周りの人や世間に、息子さんが不登校で恥ずかしいからでしょう。

特にお母さんの見栄です。」と言われて、、、


それは絶対に違う⚡️と、断言できました。


ウチの息子の場合、不登校が始まって、3ヶ月くらいは、自分でも何が何やらわからずの、迷走の時期であったと思います。


この時に、もし病院に連れて行ったら、何がしかの診断は、必ずついたと思います。

そのくらい、息子の心は、疲れてしまっていたと思います。

でも、疲れて不登校になったのに、いざ休んでしまったら、今度は罪悪感で、余計に疲れてしまったと思います。


不登校が始まって3日目くらいはまだなんとか話せたのですが、

そこからどんどん気持ちが落ちて行った様に見えました。


でも、親は何も言わずに、笑顔で黙って見守っていましたら、今度はだんだん気力が上がって来て、5ヶ月目くらいに自分から、


「そろそろ学校に行きたい」と言ったのです😭


ただ、そこから、具体的に息子が自分の力で復学する事は困難であったと思います。


だから、主人と私は、息子が言った

「お母さん、そろそろ学校に行きたいんだよね。」の言葉を、実現してやる為に、


本当に必死で、走り回りました😌


4年前は、F先生の初回インテークは、東京オフィスでおねがいできましたが、


もし、その少し前までのように、大阪オフィスと言われても、主人と私は、きっと伺ったと思います。


そうして、それからたくさんの事柄をF先生に乗り越えさせて頂いて、全日制の高校を卒業させて頂きました。


本当に、価値のあるものを頂けたと、心から感謝しています😭


この春🌸息子は、浪人生としてスタートを切りました。

毎日、短い時間ですが、予備校の補修に通っています。部屋の机の上も、綺麗にして、消しゴムのカスがたくさん落ちています。


ゆっくりですが、動けている事に感謝して、、


久しぶりに、穏やかな春を過ごしたいと思っています!!

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