『問題所有』ったって、時と場合によりますよ💦
昨日私は、お受けしている地域のボランティアの関係で、
この地域にお住まいの、あるお子さんに関わる会議に出席をしました。
ボランティアは私1人で、児童相談所の職員さんを筆頭に、そのお宅に関わる専門家の方が
10名程集まる会議でした。
皆さん、お若いのに、まぁ、しっかりしていらして😊
ご自分の専門の分野から、どのようにそのお宅をサポートしているのかのご報告をくださり、
これから、そのお宅が順当な生活を送り、そのお子さんが健やかに成長する為の方策を、
様々話し合いました。
専門職の方々の、色々な方向のお話を、
「ものすごく、勉強になるなー💦」と聞いていて、まず思った事は、
このお宅のサポートプロジェクトは、ご家族が市役所にかけた、一本の電話相談から始まったそうで、
以前の、講演会でも聞いた、
「これからは、困った時に、社会的なSOSを出す能力」が、とても大切なんだと言う事でした。
そして、訪問医療の方から、
「サポートする側が、サポートされる人の
『身体的な不調の訴え』を、敏感に察知し過ぎて、先回りして問題を解決してしまうと、
サポートされる人は、自分の問題解決を、
『言語化』する能力が育たず、
困った事があると、『身体的な不調の訴え』
でやり過ごすクセがついてしまいます。」
「『身体的な不調の訴え』を、頭から否定してはいけませんが、聞き過ぎてもいけません。
バランスが大切です!」とのお話がありました。
もー‼️めちゃくちゃ重要なお話‼️と思いました。赤線引きたいですよ😆
引き方がわかりませんが😅
これは不登校に関わらず、言語能力がまだ育っていなくて、状況を言葉で説明ができない子供にも、当てはまる部分が大きいだろうな、と思いました。
そこで、お題の
『問題所有』ったって、時と場合によりますよ💦で、ございます。
私の学んでいる「家庭教育」では、
『問題所有の原則』の理解の訓練を、厳しく😅して頂きます。
「その問題は、誰の問題なのか?」です。
部屋が汚くて、困るのは自分。
宿題を忘れて、困るのは自分。です。
その困った先に、子供が、
「これからは宿題を忘れないように、やって行こう!」となればベストですが、、、。
ま、そんな風にはまとまらない訳ですよ🤣
宿題を忘れて困ったから、
次からは、答えを写してから学校に行こう!とか、友達に写させてもらおう!とかならまだ良いですが、
もしかしたら、宿題を忘れても、たいして怒られなかったから、忘れても平気!ってなるかもしれないです🤣
(今の私は、この解決が1番ベスト!と思えるほど、色んな修羅場を経験しました🤣)
なので、『問題所有の原則』とは、親が求める『問題解決の方法』と、子供の『問題解決の方法』が違っても、
親はストンと受け入れる、ところまで、理解が進まないといけないのですねー😅
ここまで進まないと、結局、子供のやる事にイライラしてしまって、
「余計な言葉がけ」が、無くならないのです。
そんな訓練を日々させて頂く訳ですが、
『子供がひとりでは乗り越えられない問題』
に関しては、親が手伝う事、手伝い方の程度等も、ご指導頂くのですよ!
例えば「受験」です。
それまで、「家庭教育」を実践して、親の
「先回りの過保護過干渉」を控えていたら、
親子で話し合いができるくらいの家庭環境になっていると思いますので、
「受験」に関しては、
「この学校を受けなさい!」なんてのは言語道断ですが、
相談に乗ったり、出願等を手伝ったり、は
必要な事だと思います。
「受験」全部を、子供に丸投げするのは、違うかな?と思います。
(ぜーんぶ自分でやるから!ってお子さんは、そうして下さい!素晴らしい🤣)
同じように、「不登校」に関しても、、。
見守るのは大切だと思いますが、それは
『子供がひとりでは乗り越えられない問題』
ではないのかな?と思うのです😓
「見守る時間」は必要です。でも、その時間は、「しばらく」だと思います。
私は専門家ではないので、その
「しばらく」が、何ヶ月なのかは、言い切れませんが、
「部屋にこもってしまった」時間が長引けば、長引くほど、その問題は、
『子供がひとりでは乗り越えられない問題』
度合いを高めてしまうのではないかな?と思いました😓
その問題は?
子供に解決を任せなければいけない問題なのか?
大人が解決を手伝ってやらなければいけない問題なのか?
見極めなければいけないな、と思いました😌
さて。本日私は、午後からのお仕事なんでございます。
今日の趣味のスポーツ💦今日の情勢から、お休みとなりました💦
ホントにね。できるところから、気をつけて、過ごして参りましょう😓
ねーー💦